*スピーカー; Bishop Walker
*テーマ; Minor vs Major(重要なこと、取るに足らないこと)
*関連聖書の一節; マルコによる福音書4章35~39節
イエスと弟子が向こう岸へ渡るため舟に乗り込んだところ、しばらくして突風が吹き
波が舟に打ち込んできてあやうく転覆しそうになった。あわてた弟子が、そんな折でも静かに眠っていたイエスのもとにかけ集まり、騒ぎ立てたところ、イエスは起き上がり、風を叱り、海に向かって「静まれ」と一喝したところ嵐がおさまった、という逸話。
イエス最後にいわく、「なぜ、そんなにこわがるのか。どうして信仰がないのか。」
*スピーカーからのメッセージ;
It's not serious.
大変なことのように見えるものでも、実はたいしたことでないことがよくあるもの。あまりくよくよ悩まず、大騒ぎせず、心を静かに落ち着け、来る時を待てばよい。
不安や心配というのはいつも次々襲ってくるものだが、それは自分自身の心の強さ、信念の強さを試すためにあるものである。常に肉体とともに精神も鍛錬し、襲い掛かるものを跳ね飛ばす強さを身に着けておくこと。
*コメント;
のど元過ぎれば熱さ忘れる。
小さな不安が更なる不安をよび、たいしたこと無い心配が大きな心配となる。
時には、「これは大したことじゃない」と自分に言い聞かせていくことも必要である。
ストレスがたまったり、バイオリズムが不調になると、普段耐えられることでも、普段無視できることでも神経過敏になって気にしてしまうもの。それら自分のバイオリズムの好不調を把握し、うまくコントロールできる精神的強さと余裕を日ごろから身に着けたいもの。
確かに、自分はこれだ、自分はこうだっ!という強い信念を持っている人というのは、結構動揺しにくい。たとえそれが傍目には間違っているとか、迷惑であったとしても、本人が良かれと信じこんでいるものほど強いものはない。
日本人は文化的に、他人を思い、他に思いを馳せることのできる繊細な精神を培うことのできた高度な人間の種類だと思う。それが時に自分を閉じこませ、自分を苦しませることもあり、うつになったり、ひどい落ち込みに見舞われたりする。そんな時こそ、なんでもないことだ、ときっぱり強く言い切ってさっさと視点・観点・気持ちを切り替えることが必要。子供がいろんなことを学び身に着けていくように、精神の持ち方も、訓練によって鍛えられるものであると思う。