2010年5月12日水曜日

Kathy Jordan Sharpton Birthday Celebraion - 5月10日(月)




5月10日(月)Canaan Baptist Churchにおける、Kathy Jordan Sharptonのバースデー・セレブレーションイベントが終りました。
私は残念ながら、歌う機会を逃してしまいました。というのも、会社の先輩の招待を受けて飲みに行ってしまったため(~_~;) 会場入りが遅れました(9:30PM)。 会場に到着した時、ちょうど我がLFTクワイヤーのパフォーマンスが行われていました。参列者席で見るのもいいものでした。Bishop WalkerのSHOUTINGには、会場一同エキサイトしていましたね。だいたいLFTクワイヤーは、こうしたミュージカル・サービスではトリかトリに近いところを務めるので、時間を多めにみて会場入りとなったわけです。。。
主役のKathy Sharptonは真っ赤なスーツに身をつつみ、ゴージャスなアフロヘアで存在感を輝かせていました。元だんなのRev. Sharptonと彼女たちの娘も姿を見せていました。
James Hallのパフォーマンスも見ることができました。
ほとんどがブラックでしたが、ハーレムの伝統あるチャーチでこうしたサービスに参加できることはありがたいことでした。

2010年5月9日日曜日

LFT Choir コンサート


日時; 5月10日(月) 7:30pm
場所; Canaan Baptist Church of Christ
132 West 116th Street, Harlem, NY 10026, U.S.A.

Kathy Jordan Sharpton Birthday Celebration
Featuring:
- Vy Higgensen’s Teens for Gospel
- Linda Brockington & The Children of Light
- Canaan Baptist Church Dance the Word
- Presentation of the KJSSF Scholarship

入場無料

Kathy Jordan Sharptonは、アメリカ公民権運動活動家でもある Al Sharpton の前妻。元テニスプレーヤーだったらしい。Kathy Jordan Sharpton バイオ Phot Image
Al Sharptonは、マーチン・ルーサー・キングJR亡き後、現在を代表する公民権運動活動かであるため、元前妻といえども、多くのところでセレブレイトされるのでしょう。ちなみにコンサートが行われるチャーチは1930年代創立。長い歴史を誇るチャーチの1つです。また、ここで、James Hallにも会えるので、嬉しいですね。






5月9日 日曜サービスからのメッセージ

今日は、ニューヨークも「母の日」でした。サービスは、いつもにも増してきらびやかに着飾る女性の姿が目立ちました。白スーツでキメている方々が多かったですね。何かをセレブレートする時、「白」を、こちらでは着ます。「白」は花嫁さんだけもんじゃないんですね。
いつか写真を撮ることができたらなあ、と思います。

*スピーカー; Elder Harris
*テーマ; Step to Success - Take one step at the time -
成功への道に一歩踏み出す
*確認した聖書の一節; 箴言第3章1~11節、同第8章32~36節

自分を見て賢いと思ってはならない。主を恐れて、悪を離れよ。そうすれば、主はあなたの道をまっすぐにされる。(箴言第3章7~8節)

*スピーカーからのメッセージ;
「成功」への第一ステップは、「英知・分別・賢明さ」であること。

聖書にある「箴言」の章は、まさに「分別さを養う書物」である、といえる。
神は成功への道をすでに用意している。ただ、私たちは神を信頼し信じることである。
悪はあなたをその道に誘おうといつも待ち構えているが、神は貴方を悪の道から逃れる道を作っていてくださる。
「箴言」は、「わが子よ、、」という言葉で始まっている節がたくさんある。これはまさに、父から子へのメッセージである。「箴言」が書かれた目的は、私たちを人間として心身共に強くするためである。
神の慈悲を忘れてはならない。良い日は必ず、悪い日の二倍以上になってかえってくるものだ。明日への、今日の成功のために自分自身を謳歌させよう。

*私のコメント;
Wisdom = Wise な状態(-dom)。
人のふり見てわが身振り返れ。能ある鷹はつめ隠す。おごり高ぶってはならない。常に自制心をもつこと。おごり高ぶる者、久しからず。。。。。
日本でも古くから言い伝えられたり、家庭の躾の中で言われてきたり、国語古文の本に出てきたりする言葉。こうした教えが同じように聖書の「箴言」の章にずらりと書かれています。道徳教育や家庭における躾などは日本だけのものではなく、キリスト教国にも共通するもの、と言えます。
いろんな文化や人と関わっていく中で、私はこれらの教育は無駄なもの、自分を自制しすぎるもの、自分の能力や発想を制限するもの、自分をしばるもの、と、しばしば思うようになって、世間に対し長く斜に構えていました。しかし、聖書を読み進めていくうち、パスターやビショップの話を聞くうち、これらの教えは自分の思考や精神を強靭なものにし、正しい道を歩むことの自信をつけるため、と認識しました。そうすると、これらの教育を授けてくれたわが両親や学校教育、社会教育がありがたいと思うようになりました。非常にいい教育を受け、いい教育者に会ってきたと思います。
そして、こうした道徳感というのは、日本のみならず、世界各国、正しく成功を成し遂げた人や、功なし名ある人や、上流に位置する人の多くにも見られます。出るとこに出たら、躾や道徳の欠如が野卑さとして出てくるもんです。

また、今日のパスターの話の中に、人間の性格は生まれて最初の3年で決定づけられる部分が多い、という言葉も聴きました。まさに、「三つ子の魂百まで」。

日本では家庭教育が放棄されて久しいように思いますが、今はどうなっているんでしょうか。アメリカの強さ。もちろん、長短問わず日曜に教会に足を運び、牧師や説教者の話を聞き、聖書に触れる人々がまだ多く、こうした習慣の中で、道徳教育を見つけているとも感じられます。もちろん、まだまだ混沌としているところも多分にありますが、精神的にシンプルでまっすぐで力強い人が多いのは、教会教育も後押ししていると思います。

自分を自制し、分別をつけて、自分の信じる道を力強く忍耐強く歩いていく。
これが成功の秘訣、といえるでしょう。

2010年5月8日土曜日

LFTイベント

5月28日(金)~30日(日) Quest of Fire
@ Bensalem LFT Church(ペンシルバニア)

2010年5月2日日曜日

Music Video - God Favored Me 完成さる!


最新アルバム「Souled Out」からフューチャーされた 'God Favored Me' のミュージックビデオが完成になったようです。

http://blogs.bet.com/ontv/thegospelaccordingto/2010/04/music-video-hezekiah-walker-lfc-feat-marvin-sapp-god-favored-me/

このビデオ後半、チャーチシーンの一部にちらりと「私」の横顔が映っています。
きゃーーーーっ!!!!!
サブリミナル効果みたいですが、多くのクワイヤーメンバーを抑え、ちらりとでも映ったことはラッキーでした。撮影は2月23日(火)午後10時くらいからチャーチで行われました。終了はだいたい12時でした。
Evening Prayerの後にビデオシューティングが行われました。普段リハーサルではあまり顔をみないメンバーも参加してました。またクワイヤーのみならず、チャーチメンバーもエキストラで参加。ビデオの俳優さんのほとんどはチャーチのコアメンバーでした。
みなさんアクティングとしては素人の人がほとんどでしょうけど、表情の作り方や気持ちのもっていきかたはプロフェッショナルで、誰もが俳優できそうです。慣れているのかしら。。。
私はクワイヤーメンバーの後ろに隠れていましたが、リハーサルにも参加してることもありBishop自ら、前にでるよう言ってもらったため、フィルムに映ることができました。ありがたや。。。。

Souled Out

5月2日 日曜サービスからのメッセージ

*スピーカー; Bishop Walker
*テーマ; 成功への階段 (Step to success)
*確認した聖書の節; 箴言(しんげん)第1章1~14節、マタイによる福音書第18章1~7節、箴言第8章全節

ソロモンの箴言。
これは人に知恵と教訓とを知らせ、悟りの言葉を悟らせ、賢い行いと、正義と公正と公平の教訓をうけさせ、思慮の無い者に悟りを与え、若い者に知識とつつしみを得させるためでさる。賢い者はこれを聞いて学に進み、さとい者は指導を得る。(箴言第1章1~5章)
わが子よ、父の教訓を聞き、母の教えを捨ててはならない。それらは、あなたの頭上の麗しい冠となり、あなたの首の飾りとなるからである。(同8~9章)

*Bishopからのメッセージ;
成功への階段、我々は誰もがそこに到達するパワーと力をもっている。しかしそこに到達するには、知識のほかに、賢明さ・知恵が必要である。知識を多く持ち、学の高いものはたくさんいるが、知恵・懸命さを持っているものは少ないのである。知識と知恵は違うものである。知恵・賢明さというのは、何が正義で何が公正であるか、何が人間にとって正義であるか公正であるかを悟るものである。金を何億と稼ぐものはたくさんいる。高い学歴の者もたくさんいる。しかし、その中で何人の者が公正に、人間として賢く金を使い、知識をつかっているか。
たとえば、悪の道に誘われた時、それが自分にとっていいものであるか、人間として正しいものであるか感じ、考え、立ち止まらせるのが父や母から受けた教育である。(日本ではこれを躾といいます)
チャーチにおいては、父はPastor/Bishopとなり、クリスチャンにおいては神が父である。

*私のコメント;
よく言われることですが、知っていることと行うことは違い、知識と知恵は違うものです。
聖書を読めば読み込むほど、私が日本で受けた躾や道徳教育、社会教育とキリスト教的教えに相違はないと感じます。私が父母からうけた躾の内容は、聖書の「箴言」に言葉で記されています。聖書は教えを喩えをもって体系的に明文化したところに、聖書として、キリスト教としての勝利があったと思います。
さて、この躾、日本では「やってはいけない」と教わることが多く、自分の行動を制御しすぎるきらいもあり、自由奔放に自分の思いを貫き通している人を見るとうらやしかったことがあります。また、昨今は日本でも他人を思いやる教育も薄れたようで、自分本位さがまかり通っているように感じ、道徳教育なんて意味なかったんじゃん、と思う事もありました。さらに、ニューヨークに住んでみて、あらゆる人種の人とかかわることで、自分が受けた躾や道徳教育なんて逆に相手にいいようにされるものでしかないと感じてきました。
しかし、健康で無事に海外でも生活が送れてること、食べ物をかってアパートの家賃を払えるくらいには収入を得られる仕事があること、を思うと、まんざら培ってきた教育は間違いではなかったと思うようになりました。危険の背景を知って危険に挑戦するのと、何も知らずして危険にクビを突っ込むのとは違うんです。私は今まで、自分の受けてきた教育が人にいいように利用される、と感じてましたがそれは違い、賢く切り抜けるツールになっているように思います。
今までそうした教育や自分に自信がなかったがために、人からいいようにされる傾向にあったものと思います。転じて、全てが自分の生きる知恵になるんだという自信をもてば、誰が公正で公正でないか、誰が自分にとっていいか悪いか、中身のない人かそうでないか、災いになるものであるかどうか、というのがクリアに感じ取れるようになります。

アメリカのTVや報道を聞くにつけ、はなはだばかばかしいことが事件が結構たくさんあります。しかし、それらもちょっとした賢明さや知恵があれば避けられるもののように思います。また、そうした報道をうける側も知恵がなければ、報道に翻弄されるものです。一同右へ倣え、は日本だけでなく、アメリカにもたくさんあります。表舞台は華やかでも、じっくり裏を見る目をもてば、自分が周囲に翻弄されることも少なくなるような気がします。

自分が少し目覚めたとき、いつも同時にチャーチでジャスト・イン・タイムな説教を聴くのが不思議です。