ハーレム・サマーステージ: Hezekiah & Harlem Gospel Concert
2009年8月6日(木)5PM~9PM
(featuring)Hezekiah Walker, Jose Figueroa, Dancing J-Soul, Youthful Praise and Seasons of Joy
毎年恒例の、この入場無料イベントは、すばらしくいいお天気の下、ニューヨーク・マンハッタン、ハーレム125丁目のど真ん中で開催されました。私はこのコンサートに、ヘゼカイ・ウォーカー&Love Fellowship マスクワイヤーの一員として参加しました。
会場には、集合時間の6:30pmに到着。5時からコンサートが始まっているため、すでにアウトドアコンサート会場はたくさんの人で一杯でした。ステージは、アダム・クレイトン・パウエルビルの前広場に設置されていました。暑苦しくもなく、ほどよい加減の気候に恵まれ、また雨模様が続いた中で久しぶりに仰ぐ太陽も観客は大いに楽しんでいた様子でした。
私が到着した時は、5人のクワイヤーによるパフォーマンスが行われていました。女性の力強い歌声に歓声がわき、忘我の境地に入っていた人もたくさんいたようです。続いて登場した若手のグループはビートがきいた曲を歌い踊り、観客も負けじとタンバリンを取り出し打つもの、ダンスを始めるもの、いても立ってもいられないくらいそこかしこでパフォーマーとともに楽しむ姿が見られました。これはちょっと日本のゴスペルコンサートには見られない光景かもしれませんね。
さて、7:10pm、わがLFTクワイヤーは、用意された軽食をとるためにビル内2階に移動。遠慮なく、自動的に体が配食机に向かう姿は、遠慮を教えられた日本人・私にとってはカルチャーショックの一つですが、私も少しずつ遠慮を知らない、ありつける時にありつく、という姿勢を学んでいます。配膳係りの人たちとLFTクワイヤーメンバー同士で、「また今年も来たね」「あなたのこと覚えてるよ」というやり取りを見るのはほほえましく、ヘゼカイ・ウォーカー&LFTクワイヤーが、このハーレムサマーコンサートのステージに何度も招かれていることが伺えました。
8pm、いよいよステージ脇へスタンバイ。Bishop・ウォーカーに、私も含め一人ひとり声をかけられてステージ上へ。かなりきつきつのスペースに所狭しとクワイヤーが並びます。今回は、ベテラン勢に交じって一番前の列で歌うことになりました。ステージからみる興奮した客席、熱く歌いメッセージを送るBISHOPの姿、暮れ行く空、それらを見ながら天に向かって歌ううちに、私自身もえらく興奮して体が熱くなりました。というのもこの8月6日は、広島原爆記念日。原爆犠牲者に届けとばかりに空にむかって声を発しました。また、黒人文化の総本山ともいえる場所で歌うということも感慨を深くしました。ハーレム125丁目は、マーティン・ルーサー・キングJRブ通りとも名づけられています。それに直角に交わる通りはマルコム・X通り。ちょうど今、「Great speeches by African American」という本を読んでいて、奴隷制廃止や黒人市民権運動の歴史に関する内容にふれていたので、歴史的な場所で歴史的な日に、神に祈る歌を、日本人代表として1人、有名なクワイヤーで歌っている、という思いに熱く心がうたれたのでした。本当にありがたいことでした。
曲は、'Faithful is Out God''Clean inside''I'll make it' and 'God Favored Me'の4曲を歌いました。最後のGod Favored me の中で、Bishopは、観客の中にいるドラッグユーザーに呼びかけ、彼らのために祈りを捧げました。あわせて、リード・シンガーの「SUSU」がソロを披露。彼女の心底からのボーカルに、クワイヤーも観客も心うたれました。ドラッグユーザーで立ち直りを求める人が続々とステージ前に集合。これほどドラッグユーザーが多いことに驚きました。日常すぐそばに、ドラッグは手の届くすぐのところにある、そんな印象を受けました。祈りは形のないもの、目に見えないもの。しかし、自分のために祈り、誰かのために祈る、というのは、肌で感じる熱いエネルギーを放出していると私は思います、感じます。本気で祈った人が、将来実を結ぶ、実態を手にする、私はそう信じるようになってきています。クワイヤーと残りの観客で、罪の告白をしたドラッグユーザー達に手をかざし祈りを捧げる、それがステージのトリとなりました。
原爆犠牲者、黒人市民権運動に身を捧げた人への冥福を祈るとともに、現在生きている彼らの幸福を祈るものでした。
コンサートは9時に終了。青空が広がっていた空も、すっかり日が暮れて暗くなっていました。とても素敵な時間でした。