2010年4月10日土曜日

Resurrection Sunday - April 4th, 2010

















LFT Church は、イエス・キリストの復活を祝うResurrection Sundayのこの日、NY・ダウンタウンブルックリンにあるマリオットホテルで、恒例となった日曜のサービスを行いました。
11AMスタート。美しく着飾った3,000名近くの参加者が、マリオットホテル2Fの大会場に集合。パワフルなBishop Walkerの説教に一同興奮していました。

*スピーカー; Bishop Walker
*テーマ; Look for the exit
*確認した聖書の章節; コリント人への手紙10章13節、ヨハネによる福音書10章14~18節、

キリスト十字架磔刑から復活によせて、、、
父は、私が自分の命を捨てるから私を愛して下さるのである。命を捨てるのは、それを再び得るためである。誰かが私からそれを取り去るのではない。私が、自分からそれを捨てるのである。私にはそれを捨てる力があり、またそれを受ける力もある。これは私の父から授かった定めである。(ヨハネの福音書10章17~18節)

*Bishopからのメッセージ;
解決法、出口が必ずあることに、神に感謝をする。
イエス・キリストは死ぬために生まれてくることを承知しており、私たちの罪のために死に向かい、私たちの罪をあらがなってくれた。イエス・キリストは私たち人類の完全なる生き様の例である。
神は、私たちのために苦しみに立ち向かってくれる。
神は私たちのために道を作ってくれ、導いてくれる。
すべては神に対する信仰による。信仰によることこそが、神との真の絆を結ぶ道なのである。
神は私たち一人一人の魂の成長のため、それぞれに目的や課題を持たせてこの世に送られた。従って、どんな困難な問題であっても解決策は必ず用意されてあり、その解決策を見出し課題を消化していくことで成長の過程を上っていくのである。

*私のコメント;
日本語でも人の犠牲の上に今の私たちの生がある、という言葉を聞いた事があります。
最近、私が日本でうけた道徳教育の内容にも聖書の中の言葉にも似たようなものがあるなという印象を強く受けます。「人類の徳教育」「人間の生き様教育」には国や宗教の別を超えて相通じるものがあるのではないかと感じます。
聖書の中で、イエスは私たちの罪のために十字架にかけられ、私たちの罪をとりはらったといいます。そのため私たちは罪に還ることなく、より正しい道を探求し日々努力していかなくてはならないと思います。
ちょっとの努力で結果が得られず不平不満をいい、人生を投げ捨ててしまう。限られた人生の時間、何と無駄に時間を過ごしていることかと思います。良くも悪くも問題解決には必ず道があります。解決法・出口があるということを信じてまっすぐ生きていきたいと思います。努力は、ちょっとの努力で実を結ぶもの・人もあれば、泣きそうになるくらい非情な努力をしなければならないこともあります。しかし、努力したものは必ず報われるんですね。

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