* スピーカー; Elder Harris
* テーマ; Looks like getting worse but still better (悪くなっているように見えるかもしれんが、そうではなくよくなっていってるよ)
* 確認した聖書の節; マルコによる福音書第5章:22-43節, イザヤ書第30章19節
イエスはその話している言葉を聞き流して、会堂司に言われた。「恐れることは無い。ただ信じなさい。」(マタイ第5章36節)
シオンにおり、エルサレムに住む民よ、もはや泣くことはない。主はあなたの呼ばわる声に応じて必ずあなたに恵みを施される。(イザヤ書第30章19節)
* パスターからのメッセージ;
信仰によるのみ。すでにパワーはあなたの手の中にある。
何も機能しないかのようにみえるが、そうではない。
災いやネガティブ思考は、貴方がどのように感じ、何をどう見るか、を常に見ており、すきあらばあなたの脚をひっぱり、行くてを阻もうとするのである。
今こそチャンスの時、ほしいものを手に入れるチャンスの時である。
イエスは全てを面倒みてくださる。ただただ、彼を信じること。
マタイによる福音書第5章にみられるたとえ話~誰もが会堂司の娘は死んだものと思っているので、いまさらイエスの手を煩わして何になるのか~という話は、状況はもう変わらないのに、今更何をあがいているのか、何を祈っているのか、状況はもう終ったのに、何を今更復活させようと祈っているのか、という言葉にも置き換えられる。しかし、聖書にあるように、イエスは「恐れることはなく、ただ信じよ。」といい、会堂司の娘の名前を呼んで娘の目をさまさせた。それは、終ったと思われる状況でも、心配することなく、ただ神に祈り信じれば状況は変わる、ということだ。
全ては信仰による。
* 私のコメント;
「信仰」というと硬く、宗教くさい言葉になってしまうけれど、自分を信じること、神様を信じること、自分のやってきた努力、願い、経験、夢、希望を信じて迷うことなくまっすぐ前進すること、ということなんですね。「どうせこんなことやったって誰も見るわけじゃないし、評価されるわけじゃないし。。」「どうせやっても無駄だし。。。」こういうことを思わず、こういう思考は捨てて、「いつか日の目を見るときがある。その時まで、辛抱するのは大変だけど、精一杯のことはやろう。やっておこう。」というポジティブな気持ちになることなんですね。
このような思考がいかに、自分自身の気持ちと脳をすっきりさせ、顔に笑顔を戻してくるか、それはやった本人がわかります。
すぐネガティブ思考に陥りそうになる人は、最初結構努力が必要だと思う。ポジティブ思考になることが怖いから。ポジティブ思考になることは、何となく何も考えてないバカっぽさを感じるかもしれないから。だけど、世の中これで回っていることが多く、そうしたバカっぽさを感じる人がどんどん、自分をぬいて先に進み、幸せをつかみとっているのを見て、やきもちを焼いたり、落ち込んだりするんだったら、いっそのこと波にのって、自分も楽チンになったほうがいいじゃない。
あっけらかんとポジティブになること、今まで怖くてできなかったことをやってみる。
聖書に書いていることは単なる物語ではなく、何百年も語り継がれ、大切にされていることを思えば、「信仰の奇跡」というものがいつの世にもあるからだろうと思う。「こうすれば、こうなる」という指南書であると、私は思います。
疑う前に好奇心をもってまっすぐ前に向かっていく子供の目は輝いていますね。そこに希望があり、未来がある。自分はこうしたい、ということを信じて貫きとおす。
自分のやってきたこと、経験、努力、忍耐、涙、後悔、希望、志、すべてを肯定し、信じて、未来へ向けていく。私は自分の未来が変わると感じます。
「思いは通ず」。いかに明るく強く、忍耐強く思いを貫きとおしていくか、それで未来は、状況は変わると、思います。
2010年4月25日日曜日
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Hallelujah!
返信削除Sister Kiki.