●スピーカー; LAから来たゲストスピーカー
●主題となった聖書の一節; 詩篇92章 1~4節、9~10節、12~14節
●テーマ; 詩篇は神をたたえるための、神とコミュニケーションをする瞑想・黙考の1つ
いと高き者よ、主に感謝し、御名をほめたたえるのは、よいことです。(1節)
正しい者は、なつめやしの木のように栄え、レバノンの香柏のように育ちます。彼らは主の家に植えられ、われらの神の大庭に栄えます。(12~13節)
●内容;
今回は、LAから来たPASTORによるゲストスピーチ。とてもエネルギッシュで熱いスピーチでしたが、口調が早くて聞き取れず、集中力もついていきませんでした。唯一聞き取れたのは、①「'Worship'は外なる神への賛美であり、'Meditation'は内なる神への賛美である」、②神こそ信じ得べきものである。
ということ。
●私のメッセージ;
この日の日曜サービスWorshipは集中力がほとんどなく、早い口調に眠気が遅い、ほとんど聞き取れる・理解できるものではありませんでした。しかし、エネルギッシュで熱いスピーチに多くの聴衆がエキサイトし、この日の心の洗浄や心の抱擁を求め、Altar(説教壇)に集まる人はたくさんいました。本当にたくさんいました。
帰宅後、思いままならないフラストレーションや心のゆがみを抱えしんどさや辛さを覚え、声を上げてあがいてみることにしました。そう、心につまった思いのたけを叫んでみることにしました。ゆがんだ性格を授けた神に怒りをぶつけ、幼稚な自分に腹立ちをなげかけ、腹が立つ!情けない!愛してくれる者も回り無い一人の辛さを泣き喚きました。本当に声を出して、嘆き悲しみました。
子供じみた言動で情けなかったんですが、しばらく地団太ふみ、体を床になげつけてたら、
気持ちが
すっきりしました。
本当に
すっきりしました。
そう、これが「Cry out」なのかもしれません。毎週火曜日はPrayer の日で、「Cry out」とも呼ばれ、7PM~約1時間、祈りの時間が設けられています。静かに祈る者もいれば、Oh God! Thank you, God! と声を大にしてCry out する者もいますし、泣く者もいます。
これがCry outなのかもしれません。
神から言葉をもらえるわけでもなく、誰かから助けがくるわけでもないのですが、
何か心の中に小さな光が見えてくるんですね。
それが回答なのかもしれないし、解決策なのかもしれないし、ただ気分がすっきりしただけかもしれません。だけど、気持ちが明るくなるのは確かなんですよ。
やっぱり、心の中で言うばかりでなく、声に出して言ってみることは、特に言葉の使い方が下手な私にとってはいいことかもしれません。
そう瞑想するとともに、時にWorship = 声を上げて神を賛美するCry outも必要なんですね。
2010年3月10日水曜日
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