2010年3月28日日曜日

3月28日 日曜サービスからのメッセージ

* スピーカー: Elder Harris
* テーマ: 出口を探す、解決法を探す。
* 確認した聖書の一節: コリント人への第1の手紙10章13、2章:4, ヨハネ伝14章:6

あなた方の逢った試練で世の常でないものはない。神は真実で信である。貴方方を耐えられないような試練にはあわせないばかりか、同時に、それに耐えられるように逃れる道も備えてくださるのである。(コリント人への第1の手紙10章13節)
イエスは言われた。「私は道であり、心理であり、命である。誰も神の姿を認めることはできないが、私を通じて神の存在を知ることができる。」 (ヨハネ伝14章6節)
私の言葉も私の宣教も、巧みな知恵の言葉によらないで、霊と力との証明によったのである。(コリント人への第1の手紙2章4節)

* Pastorメッセージ:
誘惑や衝動というのは、「間違った」方法や思いによる熱望である。
神はすでに逃れる道、解決の道を用意して下さっている。
霊魂の言霊(ことだま)。
間違った関係や思い煩いの多い人間関係はいつでも調整、修正、新ためることができる。
光を与える、光彩を添える言葉を常に胸に、口に抱くこと。
さあ、さらに多くの糧をえるよう努めよう。
今、解決法・出口が見つからずとも、必ず次の解決法はおとずれてくる。
迷いから出よう出ようと迷わず、ただ出口・光を感じる場所を感じること。
いろんな角度から物の見方ができ、解決法もある。
解決したいと思うなら、出口を見つけたいと思うその時点で、光のドアは開かれる。
全ては貴方の決意・決断による。

* 私のコメント:
コリント人への第1の手紙10章13節は2週にわたってサービスで確認されたように、今月のテーマを説明するもので、私の大好きな聖書の一節です。
確かに、解決のない問題というのはほとんどないんじゃないでしょうか。「解決を見ない」問題はあっても、「解決がない」問題はない。諸事情、何人かの諸欲のために解決を長引かされている問題もあり、それが人目には解決がない問題のようにも見えます。しかし、自分が解決しようと思えば解決方法や出口はいくらでもあると思います。山の頂上に登るのだって、険しい道あり、時間をかけても勾配のゆるやかな道を歩く方法もあり、、。同じ目的に向かって走るのにも、いろんな方向・方法がある。日本でもよく言われることです。
あとは、どの道をとるのか、という迷いと決断することの怖さと勇気。
私の場合、この道を行ったらどうなるのか、失敗するんじゃないだろうか、あの道を行っとけばよかったのか。。。などと出口の扉を開ける前にも後にも、くよくよ、うじうじ考えてるタイプでした。扉を開けるのは大好きなのにね。何とか真知子が昔歌ってた「迷い道」という曲のフレーズに「♪迷い道くねくね~」というのがありましたが、迷いに迷って道を失い、荒野放浪の約20年を送っていました。
全部過去形にしたのは、恐らく自分を切り替えなきゃ同じ状態が続いて、欲求不満のままに生を終えるかもしれないと思ったから、本気で思考を切り替えようと今立ち上がったところで、この先変わるかもしれないから。
今はチャンレジの時期です。白旗をあげて、全面的にSPIRITを信じようと思考チェンジしているところです。自分が手に入れたいもの、実現したいものに対して、疑いのない輝いた目をして向かっていきたいと思うからです。一歩進んだ瞬間、大小の障害が発生して、また信念がゆらぎそうになるんですが、ここが肝心なのでしょう。本当に自分を信じることができるか、SPIRITを信じて、まっすぐな輝く目をして障害を乗り越えられるか、、それがテストなんですよね。
不思議なもので、自分の考えや問いに対する答えが、聖書や日曜サービスのスピーカーからの言葉の中に見つかります。
自分をあきらめず、最後までしっかり努力をして生きたいと思いなおし、立ち上がったところです。

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